環境への取り組み | 株式会社山陽レジン

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企業情報

企業理念

株式会社山陽レジン代表取締役吉田法哉

  私、吉田法哉は昭和36年(1961年)2月10日岡山県玉野市で浄土真宗法親寺の次男として出生し、地元の小中学校を卒業の後、岡山県立玉野高等学校に入学しました。卒業後、私立龍谷大学に進学し、昭和58年に同校を卒業した後は、教員採用試験にチャレンジしていました。

決意と決断・・・

ふとしたきっかけから、山陽レジンの仕事を見る機会がありました。その当時の山陽レジンは、ほぼ業務が停滞している状態でした。

私が現場で感じた事は、もっと頑張れば儲かるじゃないかという思いでした。当時あった借入金を返済しようという思いもあり会社を始める覚悟を決めました。
そして、昭和60年代表取締役に就任しました。23歳の終わりごろです。

株式会社山陽レジン代表取締役吉田法哉

その後、なんとか返済出来るだけの仕事を取り、営業と現場を行ったり来たりの毎日でした。社員1名から始め、何とか初年度は2,000万の売上をあげる事が出来ました。 それから1年、売上も3,000万ほどになったある時、またしても私の考えを変える大きな出来事がありました。
それまで、建築の防水をしておりましたが、瀬戸大橋の開通に伴い、土木のトンネル導水工事に入ったのです。

そこで、土木工事の素晴らしさに魅せられたのです。 そんな中、コンクリートの修繕をしてみようと思いつきました。

鉄道なのか道路なのか、そんな思いの中、JR(当時は国鉄)の修繕がしたいと考えました。大変苦労しましたが、なんとか鉄道の試験施工を行うことが出来、なんと並み居る大手塗料メーカーに混ざり指定工法を取得する事ができたのです。 しかし、指定工法をとったからと言って、すぐに施工など出来るわけもありません。それから、毎日のように国鉄と広成建設様に日参する日が続きました。そして初めて、新幹線の高架橋を補修する日が訪れたのです。

多くの人に支えられ・・・

その当時、売上は6,000万程でした。

そんな我が社に6,000万の工事が発注されることになりました。 『ここで後戻りは出来ない!』やるのだ。もう借入れも返済し、少し体力がついてきた頃でもあり、私は請負う覚悟を決めました。
それからです。どんどん工事を受注し、売上は1億から2億へ。岡山から姫路へ、福山へと営業を重ね、気がつくと5億の売上、そしてそれに伴い利益もある程度出せるようになり、信用も徐々に深まっていきました。

株式会社山陽レジン代表取締役吉田法哉

現在では、JR西日本は広成建設様を中心にJR東海はジェイアール東海建設様、名工建設様を中心に年商15億(平成20年度決算)になりました。 これからは、新しい工法、新しい商品開発に全力を尽くして頑張っていきたいと考えています。コンクリート修繕はこれからの産業です。幅広い御客様からのニーズにお応えする事が私共も使命と考えています。

これからも精一杯、山陽レジンの発展のために、努力していく所存でありますので、より一層のご指導、ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。